「化学教育ジャーナル (CEJ)」創刊号/採録番号1-1/1997年11月18日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html


巻頭言 化学教育に思う 白石振作(東京大学生産技術研究所)

 学校教育とは何か? 多くの子供達を一カ所に集めて、同じ授業をして、まとめて何かを教える。誰が良く覚えたかでどの子が優れているかを判定し、序列をつける。はたしてそれが目的なのであろうか。子供達は皆違った能力を持っている。どの子がどんな能力を持っているかを見定め、他の子と違った能力を生かせるように導くことが学校教育の目的ではないだろうか。

 美しい花を眺めた時、その花の好き嫌いは別にして、誰でもきれいだなと思うのは同じであろうが、その花を絵に描いてみたい、人間の感性や感情の動きとの関わりで言葉で表してみたい、この花の色はどんなものでできているのだろうか、花を美しく咲かせるにはどうするのだろうか、この花の種から同じ花を咲かせるのは何故だろうか、などいろいろな疑問を感じ、その感じ方は人によって違う。その疑問の持ち方を見定めながら興味の対象を見つけ、その興味に沿って、指導していくことが必要ではなかろうか。

 初等教育段階では、興味の対象を見つけさせ、その興味を持続させるように指導し、高等学校段階で、疑問解決のために何が必要かを理解してもらうように周辺教科を学ぶ必要を教えて、将来の方向を指し示す。それが学校教育に与えられた使命ではないだろうか。 

 一般論はさておいて、化学(理科)教育に戻ろう。化学(理科)教育は、化学(理科)だけを教えれば良いというものではない。「読み、書く」という最も基本的なところはどの教科でも同じように必要なことである。教科書を声を出して読ませる。そのことによって言葉に慣れさせ、事実を伝える方法や、論理的思考方法になじませる。そこで学んだ言葉の使い方で自分の興味や疑問について書かせ、書いたものを声に出して読ませ、正しい日本語で表現できているかどうかを考えさせ、書き方を指導する。正しい言葉で書かれた文章を読み、理解し、正しい言葉で、話し、書くことを学ばなければ、どんな教科であれ理解することは難しい。

 高等学校で理科を正しい言葉で学んだという経験は必ずその生徒の将来に生きてくる。その確信のもとに理科を教えることが大切である。全ての生徒に完全に理解させることはできない。何人かの生徒が興味を持ち理解してくれればよい。しかし、いつか将来必要になったときに勉強してみようと思えればよい。どの教科でも、将来の生活に多かれ少なかれ役立つ。その時に「調べてみよう、勉強してみよう、」と思えるようにしておくことが、高等学校までに学ばなければならないことであろう。

 化学は、自然、特に、物質の成り立ちやその変化のしかたを理解する方法を学ぶものであって、教科書に書かれている具体的な事柄は、その理解を助ける事例であり、すべてを覚えなければならないというものではない。日常生活との関連で、覚えておく方が望ましいものは、自然に身に付く。無理に何もかも覚えなさいとする教え方は、好ましいものではない。生活科や保健体育、時には社会科など、他教科との関連で総合的に理解をさせることが大切である。化学で学ぶ言葉はいろいろな教科でも同じようにでてくるのであるから。正しい言葉で、読み、書き、話す、というどの教科でも大切な事柄を理科でも基本にしたい。


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