「化学教育ジャーナル(CEJ)」第2巻第2号/採録番号2-16/1998年11月5日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html


日本人ティーチング・アシスタントから見たアメリカの化学教育

鎌谷 朝之 カリフォルニア大学アーバイン校化学系博士課程在学中

 私が、ここアメリカはカリフォルニアにて、有機化学専攻の大学院生として腰を落ちつけてから4年がたった。この4年間で特に印象に残っているのは、なんといっても最初の2年間である。何を見ても新鮮で驚きの連続であったあの日々が、近頃なつかしく思えるのはどうしてだろうか。

 さて、その忙しくもつらかった2年間の中で、今回この場を借りて皆さんに紹介したいのが、ティーチング・アシスタント(TA)として、アメリカの大学生に有機化学実験の指導をしたことである。TAという制度自体は、日本にもかなり取り入れられてきているので、改めて紹介することもないのだが、面白かったのはその内容と集まってくる学生である。

有機化学実験の場合

 アメリカの有機化学実験は、今や非常に少量でやるのが常識である。可燃性の溶媒を多量に使うのは危険であるという事に加え、少量の方が予算が少なくて済むというのがその理由である。そうではあるが、グリニャール反応のようなものまで試験管の中でやってしまうのには驚いた。そしてこれがきちんと反応するのである。確かに、カリフォルニアは乾燥しているから化学実験には最適な場所だと思うが、それにしてもおもしろい。興味のある方は、アメリカで発行されている有機化学実験のテキストをご覧になるといいだろう。

 さて、私はこの有機化学実験を担当した初めての日を、一生忘れることはないだろう。英語で説明するのに緊張したのは当然のことだが、それにも増してびっくりしたのは、学生がその日の反応について全く分かっていなかったということである。これは手順を予習してこなかったという意味ではない。そんな学生なら日本でも多い。その反応を理解するのに必要な知識が欠けているのである。

 通常、日本での学生実験は、その内容についての講義からかなり時間をあけて行われるので、学生が実験内容を理解できないということはまず考えられない。しかし、ここアメリカでは講義と実験がセットになっていることが多く、同時進行で行われるために、下手をすると講義に先立って実験を行なうこともあり得るのである。そうなると実験を担当する我々TAの負担は、実験の面倒を見るだけでは済まなくなってくる、というわけである。

落伍者が続出

 私はアメリカに来る前、アメリカの教育水準の高さについてはいやというほど聞かされてきた。確かに、講義のおもしろさという点では日本のものとは比べものにならないほどよく、学ぶべき点も多いと思うのだが、ことカリキュラムに関していえば、上にあげたような例に限らず、問題のある部分がかなり見受けられる。講義内容を見渡してまず感じられるのは、あまりの多さだ。これは、クラスを多様にして様々なニーズに答えようとした結果であるわけだが、こんなに多くては、どういう順番で履修していけばいいのかがわかりにくい。理科系の科目の場合、きちんとした段階を経て履修していかないと理解できなくなるというのは、日本の教育を受けた皆さんなら分かることと思う。そういう面での配慮が、アメリカのカリキュラムには欠けてい る。それに加えて、一つ一つの授業が盛りだくさんである上に大変なスピードで進むため、落伍者が続出する。ただ授業をさぼっているだけなのならしかたないのだが、中にはついていけずに悪戦苦闘したあげくに、矢尽き刀折れた状態で泣く泣く落ちてしまう学生もいる。

 そういう人たちに対する先生方の対応も、日本とは違う。確かに、質問すれば教えてくれるが、物わかりの悪い人に対しては「あなたはこの教科に向いていないのでは」などといいつつ、暗に受講取り消しを勧めたりする。悪気があっての言葉ではないかも知れないが、一生懸命がんばっている学生に対して、あまりにも配慮に欠けるのではないかと私は思う。アメリカの高校以上の教育はあくまでクラスの中で一番頭のいい学生をターゲットに絞ったようなところがあり、事実そういう学生が、大学を卒業するまでダントツのトップを走り続けることになるわけだが、私のようなどちらかといえば努力型の学生が生き残っていくのは、極めて難しいといえるだろう。

学生の評価

 以上のような問題は、私が担当した有機化学実験のクラスでもあった。何よりもTAや統括の教官までが、「どうせどんどんやめていくだろう」などというような調子で授業を進めていたのである。ただこのような状態に納得できなかった私は、自分の受け持った学生だけはなんとしてでも内容を理解させてあげたいと考え、いろいろな工夫をした。その内容についてはしだり尾のながながしい(万葉集)物語になるから、ここでは触れまい。ただ、1年間のTAとしての仕事が終わったとき、学生が私の授業を高く評価する査定を下してくれた。彼らのコメントのコピーを私は今でも大事に持っているが、これは私の誇りである。

 なお私のアメリカでの学生生活については、(株)化学同人の発行する月刊誌「化学」が詳しい記事を掲載している。ご覧いただければ幸いである。



"The Chemical Education in the United States - A Point of View by a Japanese Teaching Assistant"

Asayuki KAMATANI

Overman Research Laboratories, Department of Chemistry
516 Rowland Hall, University of California
Irvine, CA 92697-2025 USA
Tel (949)824-7211

E-mail:akamatan@ea.oac.uci.edu (Asayuki KAMATANI)

SUMMARY
The chemical education in the United States has a unique system itself that it is fascinating to be involved in. As a teaching assistant, I have learned both the excitement and problems on teaching chemistry in an American university. This article is hoped to be able to share my valuable experience with the readers.




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