「化学教育ジャーナル(CEJ)」第5巻第1号(通巻8号)発行2001年7月28日/採録番号5-1/2001年5月 14日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html


21世紀の化学教育へと一歩を進めよう --- 前書きに代えて

左巻健男(京都工芸繊維大学アドミッションセンター)
samaki@ipc.kit.ac.jp
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1. 一歩前への化学教育

 本号は、私の次の呼びかけから始まった:

「三学期が始まりお忙しい日々を送られていると推察します。お忙しい中恐縮な のですが、お願いがありましてメールいたします。なお、このメールは、私が日頃か ら化学教育において注目している方々にお送りしています。

 私は、インターネット上の化学教育電子雑誌「化学教育 ジャーナル(CEJ)」(発行 CSSJ 化学の学校、化学ソフトウェア学会の一部門) の 2001 年6月発行号の招待編集長を引き受けました。CEJ は、複数のWWWサイト とリンクを張ってつくられている電子雑誌です。この雑誌は、化学教育と化学教育活 動との発展を願って、化学教育情報の流通をはかるために発行されています。つきま しては、是非、この化学教育特集号に投稿下さるように案内及びお願いを差し上げる 次第です。日頃の授業実践、教材開発などを特集号に投稿いただき、これからの化学 教育の方向を示す特集号を組みたいと思っています。」

【特集号の企画】 21世紀にふさわしい化学教育のありかたを具体的に 示す授業実践、教材開発、あるいはそれらを元にした化学教育論を特集(以下略)-- -  本号のコンセプトは、21世紀にふさわしい化学教育へと一歩を進める実践的論 文をメインにするということだ。この呼びかけに応答した方々が本号の執筆者である 。本号は、私が招待編集長を引き受けて、原稿執筆者募集を NET で行い、執筆者 ML を組んで意見交換をしながらつくったものである。

 紙メディアではカラー写真はコスト面で難しいし、いわんや音声データは難し い。各地の大学や教育センターなどで出している紀要類が、その内容に本当に興味を 持っている人に届かないなど、ほとんど読まれないでいるとき、能動的に NET で情 報を探している人に読まれやすいという利点をもっている。すでに本誌に、私は「ダイ ヤモンドの燃焼の教材化」を掲載させていただいている。ダイヤモンドの燃焼が 簡単にできるとなると、教科書などにも取り入れられ各地で実験が行われるようにな るだろう。こうした NET を利用した研究・実践の雑誌は、今後ますます重要性を帯 びてくることだろう。読者のみなさんには次には本誌に研究や実践を報告していただ けることを願っている。

2. 化学の中心は「物質」

 「私は、化学教育は、いつも平明なもの、生徒の興味をひくもの、本質的なも の、を目指すべきだと思っています。ついついマニアックになりがちなのが高校化学 教育です。液体窒素にきゃーきゃー叫び、カルメ焼きに熱中するような、物質にいつ も触れるような化学教育をすすめたいと思っています。」

 上記は、あるパソコン通信のフォーラムに化学教育会議室ができたときに真っ 先に発言した内容の一部だ。化学教育の中心は「物質が身近になる、物質の世界が見 えてくる」ことでなければならないと考える。黒板とチョークで、知識の解説や計算 問題の解き方をごりごりやるのも必要なときもあるが、いつも忘れてならないのが「 物質とつき合う」ということである。このことは、小学校・中学校はもちろん、高校 でも大学でも同じく必要なことであろう。

 化学教育では、常に、原子論というミクロなレベルの理論とともに、物質の性 質や物質の変化のマクロなレベルの世界を統一して行くこと、その理論と実験が生活 や社会と広くつながっていることを大事にしなければならないと思うのだ。たとえば カルメ焼きというのは、私が若いときに温度計を使う方法を教材化して全国に広めた ものだ [1]。今では創造的追試の結果、そのころより成功率があがるようにいくつか の工夫が付け加わっている。化学変化で「分解」を学習するとき、炭酸水素ナトリウ ムの分解を利用したカルメ焼きを作らせるのはどうかと思った。砂糖水を 120 〜 125 ℃ まで熱して、それに炭酸水素ナトリウムを加えてかき混ぜるとプワーッとふ くらんで固まる。カルメ焼きのできあがりである。試験管内での炭酸水素ナトリウム の分解の実験の後にさせると、ふくらし粉の役割、ホットケーキのふくらむわけなヌ 実感できるだろう。学習は、教室内だけにとどまるものではなく、私たちの生活と深 く関連していることを知ることだろう。

3. 化学教育の状況は?

 小学校・中学校では 2002 年から、高等学校では 2003 年から新しい教育課程 になる。とくに小学校理科で、教育内容の削減ありきのなかで、それまで何とか基礎 ・基本はくり返し学習が可能なようにスパイラルリピートの原理で各学年に発展的に 配置されていたものだったが、どこかで一度出てくるとそこで終わりという形になっ た。中学校では「イオン」「仕事」「遺伝・進化」などの重要な内容が削除され、高 校の選択科目へと移行された。

 こうした「厳選」のなかで、教育内容は断片化され、ますます細切れの度合い を深めている。このため、自然を統一的に把握するために不可欠な知識が多数欠落し てしまった。現行学習指導要領から高度な内容だからと虫食い的に一部分を削除して 、残りの内容で教育課程を組むという「厳選」では、現行学習指導要領よりさらにば らばらに、細切れになり、自然を統一的に把握するために不可欠な知識もあちこち欠 けてしまうと言う結果になる。その虫食い的「厳選」の結果は、つまらない理科にな ることが予想される。自然をゆたかにとらえるという観点から基礎・基本が選択され ていないので、多くの子どもにとって学校で学ぶ理科は、定期試験や入学試験のため であり、学校の中に閉じられたものにしかならない。校門から出れば不要な知識にな り、その知識が生活に役立つという実感はなくなるだろう。そうすると、入学試験ま では何とか保持される知識も、時と共に急速に剥げ落ちていく。知的レベルの低下と 情意面における科学離れがさらに進むであろう。

 文部科学省「教育白書」は、教育内容の3割削減で学力低下の危惧にたいして 、その心配はないと反論した。曰く「ゆとりをもって繰り返し学ぶことで基礎・基本 の確実な定着を図」るし、「高校卒業レベルの教育内容の水準はこれまで通り」だか ら学力低下はないというのだ。しかし、高校の学習指導要領は理科の最低必修単位を 4単位として、たとえば「イオン」は「理科総合A」(2単位)に移行したが、理科 には共通必修科目はなく、「イオン」を学習しない生徒も出てくる。また、これまで の中学校までの内容は高校1年生でようやく学習することになる。残りの2年間でこ れまでの高校3年間の理科を学習することになるが、現実にはそのような教育課程が 置けるのは一部の進学校だけであろう。学習指導要領はいつの時代にも問題を多々抱 えていたが、「ゆとり教育」のさらなる進行、その問題点を増幅する杜撰な内容の学 習指導要領のもとで、理科教育、化学教育はじわじわと危機が深まるであろうことは 、おそらく確かであろう [2]。

4. 高校理科では化学の選択者が最多だが、しかし…

 学習指導要領や大学入試に責任を押しつければそれで化学教育がよくなるだろ うか。否である。現在、高校理科の教育課程では、トータルで選択者が一番多いのは 化学である。では、それは化学が一番魅力的だからかというと違うようだ。

 一つは大学受験にかかわることがある。化学は、理系、文系ともに受験科目に 使いやすい。現在では理系でも理科1科目ですむのがほとんどで、機械工学科や電気 工学科に進むのに化学1科目ですむのである。二つ目に物理と比べると抽象性が少な く、生物と比べると記憶事項量が少ないと見えるので相対的にとっかかりやすい感じ をもたれる。しかし、授業を受けてみると、物理のように計算がたくさんあり抽象性 も高く、生物のように記憶しなければならないこともたくさんあるということに気づ かされる。ビジネスマンなどへの調査で、化学は学習して役立たない科目の上位にあ げられてしまうのだ。化学選択者はたくさんいるのに、彼らに化学のおもしろさや生 活と化学との関係について伝えられていないという状況があるのだ。化学物質とのつ きあい方について正しい判断力を必要とされる時代だと言うのに。

5. おもしろ実験ものづくりで現状に風穴を

 かなり化学教育の状況をネガティブに述べたが、そういう状況を克服しようと いう動きも胎動している。もう「将来役立つのだから今はつまらなくても学習しなく てはならない」という形の強制力は簡単には効かなくなっている。各地で開かれてい る科学実験のイベントなどで取り上げられるような実験・ものづくりが現場に浸透し つつある。現象顕著で、その場で意味を感じさせる、強い動機付けをするような実験 ・ものづくり群である。

 教科書も大きく変わりつつある。たとえば、ある中学の教科書は化学変化の学 習を「カルメ焼きはなぜふくらむか」から始めている。教科書にはカルメ焼きだけで はなく、使い捨てカイロ、手づくりスライム、備長炭電池などが取り上げられている ようになっている。電気パンを取り上げた教科書もある。イオンやジュ[ル熱の学習 においてだ。ホットケーキミックスの粉を水でといたものにステンレス板の電極をと りつけて電流を流す。すると食塩などの電解質水溶液なので電流が流れる。電流が流 れればジュール熱が発生する。これで電気パンが焼けるわけである。焼けてふくらめ ば、イオンが動けなくなるから電流が流れなくなる。自動スイッチだ。もう「教科書 のようにつまらない」と簡単に決めつけられないのだ。

 大学受験に必要な知識は何でも詰め込んである教科書が採択の上位にあるには あるが、本当に必要な知識だけに削ぎ落とした教科書も採択を伸ばしつつある。状況 は変わり始めているのだ。もちろん、おもしろ実験ものづくりさえすれば化学教育が 改善されるなどと言うつもりはない。それもまた、現状へと風穴をあける一つである と言うことだ。その限界にも留意しつつ、おもしろ実験ものづくりからも授業改革の 手がかりを得よう。

6. 化学の本質的おもしろさの方向へ

 おもしろいのは実験だけではない。化学の本当に本質的な知識は、新しい世界 を広げてくれる。物質の世界をミクロにもマクロにもゆたかに示してくれる知識を、 暗記を最小限にしてシステマチックに示してやることも化学教員のすべきことである 。学校はもちろん、様々なところで、化学はおもしろい!ということを伝えよう。そ して、化学が教室に閉じるものではなく生活や社会と密接に関係していること、その 光と陰についても伝えよう。化学実験など化学の教材開発や授業の工夫などを交流し ている化学サークルも全国的に散在しながらも地道に活動を進めている。これらの「 点」をつなげ、「線」にし、「面」にしていくことは、本号のような INET 上のジャ ーナルの役目であろう。

 これまでの営々と積み上げられてきたすぐれた教育実践の成果を土台にして小 学校から高等学校までを見通した、私の、私たちの、いくつもの、それぞれの特色を もった(顔が見える)教育課程をつくり出すことを進めて行かなくてはならないだろ う。

参考文献

(1) 拙編著『中学理科の授業 生徒のわかる教え方と教材・教具の開発法』(民 衆社 1986.8)に開発の経緯を述べた。
(2) 拙編著『「理数力」崩壊』(日本実業出版社 2001.7)


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