「化学教育ジャーナル(CEJ)」第5巻第1号(通巻8号)発行2001年7月28日/採録番号5-5/2001年4月 11日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html
普通の公立中学校でできる古くて新しい化学変化実験の教材化
〜エステルを使用した化学変化のイメージを深める教材開発〜
吉田安規良 北海道滝川市立開西中学校
E-mail: whelk@seagreen.ocn.ne.jp
1.はじめに
我々の生活は、「物質」との結びつきで成立している。中学校の理科(第1分野)では、物質の物理的、化学的な基本的な性質について観察・実験を通して学習している。中学校で行われる化学領域の教材化された実験の多くは、「基礎的」、「基本的」な原理を学習する為に編み出されている。しかしながら、そうした実験で使われる物質は無機化合物が多く、今の子どもたちにとっては“身近”であるとはいえないものがある。
実際の子どもたちの社会を見回すと、身の回りにある物質は、我々の“からだ”をはじめとしてプラスチック、医薬品、繊維など有機物、有機化合物の方が多い。ゴミの分別収集やリサイクルで話題になるペットボトル、衣料に用いられるポリエステル繊維や湿布薬の成分で独特のにおいのあるサリチル酸メチルなどが属するエステルは、酸によって分解、合成したりすることが比較的容易で、視覚のみならず嗅覚にも訴える実験結果を引き起こす。これらを化学変化の実験の素材として利用する価値が高い。
しかし、実験の教材化には制約がある。弾力的な時間割編成が可能になってはきているが、丸1日を理科の時間につかう訳にはいかないのが現状であり、他教科、領域との調和のとれた時間割(日課)を編成する必要がある。このことから1単位時間で完結するような内容であることが重要とされてきた。またどの学校でも実験器具は、音楽のリコーダーのように1人1セット専属で用意することは難しい。結果として、普段の学校生活での基盤となっている班(グループ)を単位とした実験となる。個々の子どもたちの学力、興味・関心や実験スキルに差があることから5〜6人前後のグループで実験を行うと、実験などの活動に消極的“お客さん(傍観者)”になってしまう子どもがでてきてしまう。
また、「特別な器具で行っている」という雰囲気を感じされるのも重要である。試験管や駒込ピペットなど、必要数をそろえるのが簡単(安価)な、化学の専門家には「当たり前」の実験器具でも、子どもたちにとっては「特別な(身近でない)もの」である。身近な物質(素材)の秘密を身近でない実験器具を使って調べるという活動は、それまで疑問にも感じなかったことを、自分の手で解明しているという満足感、成就感を味あわせるのに一役買う。
さらに、教える側が“やってみたい”と思えるような実験の教材化は重要な要因の一つである。内容的にすばらしい教材で、1人1人が個別対応できるようなスモールスケール化した教材であったとしても、教える側の力量(あるいは、準備にかける時間がもったいないなどという怠惰な理由)や認識、知識不足から、“おもしろい”だけで授業が終わってしまい、科学的な思考を養うことができず、次時につながらないものになってしまう。結果として、学校の理科の時間に学習した内容が、学校外の実社会で生かしきれない。
こうした中、2002年4月から、学校完全週5日制と新学習指導要領<引用1, 2> 完全実施される。すでに報道などで明らかになっている通り、新学習指導要領<引用1, 2>では、教科時数の3割削減とそれに伴う学習内容の“厳選”が行われている。これに対しては、新学習指導要領が本格実施される以前に各方面から「基礎学力の低下」<引用3, 4> を懸念する声があげられ、その実効性には“?”が点滅しているが、今後約10年もの間、各学校の教育課程編成の基準とされるのは言うまでもない。新指導要領にあわせて、教科書の内容も既に改訂され、理科では、従来の実験教材が子どもたちの持っている先行概念や既習知識との結びつきが弱いとして、新しい、もっと“平易な”教材実験が導入される場合も十分考えられる。
しかしながら、多くの公立学校では、新しい教材実験に必要な実験器具の購入は、設置者である地方公共団体の財政難からも難しい。また、従来の教科書で扱っていた実験教材で使用していた実験器具や試薬が、有効利用されない可能性も生じる。
この様な状況下にあって、教授内容の水準を低下させずに、かつ従来使用していた器具類の有効な利活用を可能にする工夫が求められている。
そこで本報では、身の回りの物質としての“エステル”に注目し、その合成方法について報告する。エステルの合成に使用する硫酸や酢酸は、新指導要領に則した教科書において使用頻度が低下する物質である。つまりこの実験は、今まで利用していたポピュラーな物質を使用し、安価に行うことができるようになる。
またこの実験を、現在中学校において、所有している程度の器具でできるように簡便化した教材として報告する。
2.身の回りの物質としての“エステル”の教材化
「“エステル”という物質は、カルボン酸とアルコールが脱水縮合したものの総称である。」と、高等学校の化学の教科書にも掲載されている。一見、身の回りの物質と感じられない“エステル”ではあるが、果物のにおいや最近流行のフリース素材(ポリエステル製衣料)はエステルであり、飲み物の容器などに使われているペットボトルもポリエチレンテレフタレートというエステルである。ポリエステルの性質などについては、高等学校の有機化学分野で詳しく学習するが、中学校で教材実験として授業に取り入れても子どもの興味・関心を引き出す可能性は大きいであろう。さらに、“身近”で“安価”で入手しやすく“安全”であるという面からも、(教師の演示実験などのように傍観者的な参加対応の実験ではなく)子ども1人1人が自らの手で実験を行うという“主体的な授業への参加”を促す上でも意義があると考える。
そこで、今回は以下のよう実験教材を提案する。
(ア)PET のアルカリによる加水分解
(イ)酢酸エチルの合成
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(ア)については、すでに高等学校の科学系部活動の実践などで、ペットボトルの分解反応条件についての報告や、ペットボトルから再生繊維を生成したり<引用6>、ペンダントをつくったりする報告<引用7>がある。<注釈*>これらの報告は非常に優れており、選択理科の時間やクラブ活動(部活動)、社会教育の一環としての“子ども実験教室”など、比較的理科(化学)に対して興味や関心を抱いている子どもたちと一緒に楽しみながら学習する教材として即利用できるほどまとまっている。しかしながら、必修教科としての理科の教材としては改良の余地がある。例えば、ペットボトルのアルカリ加水分解の実験教材<引用4>ではリービッヒ冷却器やマグネティックスターラー付き恒温装置などを使わなければならない。これらの実験装置は、(大学の理科系の研究室・実験室などではポピュラーなものであるが)“普通の公立中学校”には少なくともクラスの一人一人に行き渡るほど潤沢ではない。この点から、こういった“普通の公立中学校にとっては特殊な”実験器具・装置を使わなくても良いように方法面での簡便化が必要である。
ポリエチレンテレフタレート(PET)、すなわちテレフタル酸と1,2-エタンジオール(エチレングリコール)のエステルの重合体からなるペットボトルは、利用後は多くの場合“ゴミ”となってしまう。最近では、使用済みペットボトルを回収し、再生繊維を取り出し、フリース素材の衣料品や絨毯など“リサイクルによる商品”も販売されるようになってきた。これらの再生方法は、中学校で学習する“状態変化”(物理変化)を利用した方法である。ところで、この状態変化と化学変化を比較しながら授業を展開すると、“化学変化とはなにか?”という概念形成をしやすくすると考える。また、新設される“総合的な学習の時間”で環境問題や資源のリサイクルについて学習する際に、相補的な関係を構築できる教材となり得る。以下、既報告のデータを基に、ペットボトルのアルカリによる加水分解をスモールスケール化し、“普通の公立中学校にある実験器具”だけを用い、中学生が比較的安全にしかも安価に行う方法を検討した。
さて、化学変化の一形態として“分解”を学習した後、今度はその逆反応である“合成(化合)”を学習することになる。回収したテレフタル酸を再エステル化できれば一番良いが、Fischerの酸触媒によるエステル化反応を利用する方法では中学校程度の理科実験器具ではうまくいかなかった。そこで、(イ)で示すように、人間の感覚の中でも比較的優れている“嗅覚”の活用と“使用頻度の低下した試薬の有効利用”の観点から、果物の芳香の構成成分の1つである“酢酸エチル”の合成を化合の導入教材として提案する。これに必要なエタノールは簡単に入手可能で、酢酸も、中和反応の実験で中学校の教科書に掲載<引用8>されていることから、今でこそ使用頻度が低下したが、理科室に常備されている。両試薬ともそれぞれ独特の“におい”をもっている物質であり、酢酸エチルもこれら2つとは全く異なる“におい”の物質である。これらを自らの鼻で嗅ぎ分けることによって反応の前後の物質の変化を感じ取ることは。子どもにとって“目には見えない”が“わかりやすい”違いを発見することであり、化学変化に対する興味・関心を沸き立たせるものであると考える。
3.準備
(ア) PETのアルカリによる加水分解
試験管、ビーカー(湯煎用)、加熱器具(三脚・セラミック付き金網・アルコールランプかガスバーナー)一式、PETボトル、水酸化ナトリウム、メタノール(エタノールでも代用可)、濃塩酸、ろ過装置一式
(イ) 酢酸エチルの合成
試験管、ビーカー(湯煎用)、加熱器具(三脚・セラミック付き金網・アルコールランプかガスバーナー)一式、酢酸、エタノール、濃硫酸、ピペット、パスツールピペット(ピンセット)、ろ紙
4.操作方法と結果
(ア) PETのアルカリによる加水分解
- よく水ですすいだペットボトル(写真1、84KB)をはさみで切り、展開する側面を1面ずつ切り離し、5mm以下に細かく<引用4>切り刻む(写真2、93KB)。
- (1)で切り刻んだPETボトルの重量を測定し、それと同重量の粒状水酸化ナトリウムを用意する。今回の実験では、コーヒー飲料が入っていたペットボトルの上部1/3程度13.7gを利用した。
- 試験管にPETボトルをチップ状にしたものと水酸化ナトリウムを入れ(写真3、72KB)、そこにメタノールを加える(写真4、72KB)。混合比は、PETボトルをチップ状にしたもの1.0gに対してメタノールを10mL入れる。普通、理科室で用いられる試験管は30mL程度の容量のものが多いので、PETボトルのチップ状のもの0.5g、水酸化ナトリウム0.5g、メタノール5mL程度の分量で行う(メタノールの毒性が気になるのであれば、価格は3倍ではあるが、エタノールで代用しても同じ結果が得られる)。
- 65℃の湯浴で、試験管をよく振り混ぜながら30分程度反応させる。この時、PETボトルを細かく切り刻んでおけば反応時間の短縮につながる。逆に大きなかたまりで反応させれば、時間がかかるが、表面が少しずつ変化している様子を観察できる。反応が進むについて溶液は白く濁ってくる(写真5、68KB)。溶け具合が悪い場合、5〜10分おきに一度溶液のみを取り出し、別なビーカーなどにとりわけ、試験管内に残った固形物に新しくメタノールを加えて再度湯浴で反応させる。その際、ガスバーナーよりもアルコールランプの火力の方が弱いので操作しやすい。普通教室など加熱装置のない場所で行う際には、70〜75℃の湯を用意し、それに試験管をつける(500mLビーカーにお湯を1/2程度注ぎ、それに入れる試験管は、せいぜい3本程度にする)。湯の温度は時間とともにぬるくなり、10分程度で60℃以下になるので、5分〜7分おきにお湯を取り替えると良い。
- 反応後の溶液にpHが1以下になるまで濃塩酸を加える。これによってテレフタル酸の白色固体が沈殿する。この操作は、子どもたち各自の試験管の中身を一度1つのビーカーに移し替えてから行った方が良い。
- 上澄みをデカンテーション(傾斜ろ過)で捨て、沈殿を大量の水(500mL〜1000mL)で3回程度すすぐ。このとき、0.1M硝酸銀水溶液があれば、廃液に滴下し、塩化物イオンが残留していないかどうかチェックする。
- 沈殿物をろ過し、ろ紙ごと乾燥させる。得られた白色の粉末がテレフタル酸である(写真6、77KB)。今回の実験では、3.45gのテレフタル酸が得られた。<注釈**>
(イ) 酢酸エチルの合成
- 最初に、酢酸、エタノールそれぞれのにおいを嗅いでおく。
- 試験管にエタノール1mLを入れ、酢酸1mLをそこに加えた後、濃硫酸0.5mLをさらに加える。
- 80℃の湯浴で15分間反応させる。反応の際、試験管をよく振り混ぜる。
- 試験管を湯浴から取り出し、室温まで冷ます。水を2mL加え混ぜ、静置する。未反応の酢酸とエタノールは加えた水に溶けるが、合成された酢酸エチルは上層に分離している。
- パスツールピペット(スポイト)で上層のみを吸い取り、短冊状に切ったろ紙にしみこませる。
- エステルをしみこませたろ紙のにおいを嗅ぎ、もとの酢酸やエタノールとのにおいと比較する。
5.おわりに
酢酸エチルの合成は、授業者側の準備がきちんとされていれば、1単位授業時間内で十分実験の趣旨を説明し、実験操作、実験結果をまとめるまでの一連の学習過程を行うことができる。PETのアルカリによる加水分解では、実験操作に最低でも2単位時間をつかう。この実験は、その材料が身近にあることと、使用する実験器具が安価な試験管程度であるために、1人1人の子どもたちがそれぞれに自らの手で実験を行える。グループ単位で行わなければならない従来の教科書に掲載されている実験教材のように、参加態度の違い{いわゆるお客さん(傍観者)生徒}が生じにくいという点で極めて有益である。
本報に記した実験は、ここ数年、筆者が中学2年生の理科を担当した時や選択理科の時間や地区の科学館普及事業の際に実験教材として導入している。水酸化ナトリウムの固体を直接使用するなど、水溶液での使用以上に安全管理の面から言えば教師サイドの留意点は増えるが、危険性を十分理解させた上で使用させることの方が、“危険”の一言で済ませてしまうより教育効果は高い。また、使用している物質が身近なペットボトルやエタノールや酢(酢酸)であるということが子どもにとっても肩肘はらずに取り組みやすい状況を作り出しているのであろう。なによりも“簡便”に、“安価”で行える実験教材の増加は、授業時数や教材購入関係の教育予算が削減されていく現状で、教育効果をあげる上で、多くの現場教師が求めているものである。
6.謝辞
本論文を執筆するに際し、北海道教育大学旭川校の横山隆允教授から有益なるご助言を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。
<注釈>
*ポリエチレンテレフタレートは塩化ビニルなどと違い塩素を含んでいないので、
加熱によってダイオキシン類は発生しない。
**得られた白色粉末(テレフタル酸)の核磁気共鳴スペクトル (400 MHz, 重DMSO, δ ppm)
8.05 (s, 4H, 芳香族水素), 13.26 (br s, 2H, COOH)
CH2 のシグナルは観測されなかった。
<引用>
- 文部省,中学校学習指導要領,大蔵省印刷局(1998).
- 文部省,中学校学習指導要領解説(理科編),大日本図書(1999).
- 安斎育郎・滝川洋二・板倉聖宣・山崎孝,理科離れの真相,朝日新聞社(1996).
- 産経新聞社会部編,理工教育を問う,新潮社(1995).
- 浅野仁,ペットボトルのアルカリ加水分解によるテレフタル酸の回収,化学と教育,47,pp. 270〜271(1999).
- 栗岡誠司,ペットボトルを用いる簡易再生繊維づくり,化学と教育,47,pp. 268〜269(1999).
- 河野晃,ペットボトルのペンダント,
http://www2.hamajima.co.jp/~nisiki/indexgara.html
- 中学理科第1分野(下),教育出版,p. 67,(1997).
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