「化学教育ジャーナル (CEJ)」第7巻第1号(通巻12号)発行2003年 9月20日/採録番号7-3/受理2003年 6月 6日 URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html


コンピュータに説得力はあるか?:クロマトグラフィーを題材とした議論

菅田節朗(共立薬科大学)
sugata-st@kyoritsu-ph.ac.jp

Is a Computer Persuasive ? : In the Case of Chromatography by Setsuro SUGATA (Kyoritsu College of Pharmacy)

 私は以前、“An Analogue Column Model for Nonlinear Isotherms: The Test Tube Model”なる論文(J. Chem. Educ., 74, 406-409 (1997))を発表した。この論文は、クロマトグラフィーで物質が分離されるようすを、簡単なガラス容器と水を用いて単純作業を繰り返すことにより、シミュレーションしたものである(以下、試験管モデルと称す)。本来クロマトグラフィーのシミュレーションはコンピュータによりなされてきた。なのになぜコンピュータの発達した現代に、このような間怠っこいモデルを発表したのか。そのきっかけは以下のようなささやかな疑問が生じたことにある。

 かつて私が研究でHPLCを使い始め、そのためクロマトグラフィーについて学び始めた時の話である。手持ちの日本語の参考書や総説には次のような説明があった。『線形等温線を示す物質(固定相と移動相への物質の分配比が物質濃度によって変わらない物質)が段理論(plate theory)に従い、「両相への分配と移動相の移動」を繰り返しながら、カラム内の各段に分配され移動するとき、それが多数回繰り返されるとその分布は正規分布になる。したがって、クロマトグラム(カラムの出口で物質濃度を測定した記録)も正規分布となる。』

 カラム内での正規分布は理解できる。だからといってそれで即「クロマトグラムも正規分布となる」と言えるのだろうか?この小さな疑問を同僚達に話したが、明解な答えは返ってこなかった。ひょっとしたら話が分かりにくい面もあったかもしれない、と後で思った。そこで、ここではもっと簡単な話に置き換えると次のようになろう。二等辺三角形がその面積を保ちつつ、徐々に底辺を広げつつ、高さを減じつつ定速でトンネル内を移動しトンネルから出てゆくとする。この三角形は終始二等辺三角形であることに変わりはない。ところで、トンネルの出口の地面に横棒が置いてあるとすると、この横棒は二等辺三角形がトンネルの出口にさしかかると徐々に押し上げられ、再び地面に戻るであろう。横棒の地面からの高さの経時変化をグラフに取ると、得られたグラフははたして二等辺三角形であろうか?

 このようなクイズにするとさほど難しくもないようだが、その時は、後々何かの役に立つかもしれないと思いクロマトグラフィーのコンピュータシミュレーションを行った。その結果、カラム内でほぼ正規分布になっても、クロマトグラムはややテーリング気味であることが判明した(このことは英文の参考書等にはっきり書いてあったのを後で見つけた;参考までに、カラムが長くなるほどクロマトグラムもより正規分布になってくる)。この結果を同僚達に示したら、何となくわかってもらえた。しかし、彼らの表情から、このコンピュータシミュレーションが強力な説得力を持たないことを思い知らされた。プログラムの作者である私には、考え方に間違いはないか、プログラミングにミスはないか、という不安が残る。同僚達にしてみると、プログラムはブラックボックスに入っているので、信頼性にも限界があるようだ。このようなことが、説得力のなさに繋がったと思われる。

 説得力を上げるにはどうしたらよいだろうか。そこで思いついたのが、直接体験しながら確かめられる前記の試験管モデルである(前記の論文では、よりわかりにくい非線形等温線の場合にも応用している)。このモデルは強力な説得力を持つが、ガラス容器(非線形では特殊な形のガラス容器)を必要とするし、その手操作はやや煩わしい。そこで再びコンピュータシミュレーションに戻ることにしたが、今度は試験管モデルそのものをずばりコンピュータ上に再現した。この場合も作者のミスはあり得るし、他人にとってはプログラムがブラックボックスに入っている事に変わりない。しかし、カラム内で物質が分離されるようすや、その結果得られるクロマトグラムを逐一確認できる点で、説得力は試験管モデルと同程度に強力になった。このコンピュータシミュレーションの最新の結果は、日本コンピュータ化学会2002秋期年会講演予稿集p20-21に発表済みである。

 以上、私の関与したクロマトグラフィーの基礎的テーマを題材に「コンピュータに説得力はあるか」の問題提起をした。題材が少ないので、あえて結論を急ぐ必要もないが、仮の結論は次のようになろう。コンピュータを使えば何でも説得力があるというものではない。しかし、使い方を工夫すれば説得力を向上させることができるだろう。コンピュータの欠点を認識し、それを補いつつ、長所を生かしてゆくのがよかろう。


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