「化学教育ジャーナル(CEJ)」第2巻第1号/採録番号2-1/1998年7月3日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html



巻頭言 理科の教育にもっと広がりを

杉山滋郎  北海道大学 理学研究科(科学史研究室)


日本の科学史の中に、こんなエピソードがある。日露戦争のときに、いま戦争中であることも知らず研究に没頭していた科学者がいた、というものである。はたして、その科学者のモデルは誰か?

ことの起こりは、日露戦争の数年後のある小説に、「研究に夢中になりすぎて旅順陥落も日本海大海戦も知らなかった科学者」が登場したことだという。そして、原子模型の研究などで知られる長岡半太郎がその人だ、という説があった(注1)。しかし今では、「人びとはその主人公を詮索して、いつのまにか長岡をその「研究に夢中になりすぎて日露戦争も知らなかった科学者」にしたてあげた」という見解が有力である(注2)

小林惟司の『寺田寅彦の生涯』も、「長岡半太郎」説をしりぞけ、かわって「池野成一郎」説を展開している。「長岡半太郎が研究に熱中して日露戦争を知らなかったという話が伝わっているが、これは東大の先生で遺伝学の大家池野成一郎教授のことである。朝な夕な顕微鏡を見て暮らしているうち、知らぬ間に日露戦争が始まって、終わったというのだ。(注3)」 たしかに、池野成一郎には逸話が多い。ある学生が池野に、「昨日先生は電柱にぶつかって帽子を脱いで謝っていたですね」というと、「ああ、あれは君だったか」と言った、などなど(注4)。しかし、だからといって、池野がモデルだという決定的な証拠があるわけでもない。

また、地球物理学者の田中舘愛橘ではないか、と考える人もいた。1936年の雑誌に掲載された田中舘愛橘を囲む座談会のなかで、長田恒雄が田中舘に、「日露戦争の時に、誰方ですか、研究室に籠って居られて戦争を知らなかつたといふゴシツプがあるのですが、先生ではありませんでしたか」と水を向けている(注5)。冗談半分にしろ、こう言われるくらいに田中舘は超俗的であったということだろう。

当の田中舘はこれに対し、「それは僕ぢやない。田口和美さんだ。医学博士で解剖学の大家だ。あの人が、「戦争があるのですかなあ」と言つたといふ様なことを聞いた。」と答えている(注6)。これは、田口にはいささか迷惑な話であろう。彼は、日露戦争が勃発する前に没しているのだから(注7)

小説のモデルがほんとうは誰であったのか、それをここで詮索する気はさらさらない。そうではなく、むしろ、少なからぬ「候補者」の名が浮上した、ということに注目したいのである。これはつまり、「研究に没頭して日露戦争が起こっていることも知らなかった」ようなタイプの科学者が少なくなかった、ということであろう。そして世間は、そうした科学者---日露戦争を知らなかった科学者たちのみならず、ときにはその他の科学者も含めた科学者一般---に対し、シニカルな目を向けていた、ということであろう。

上のエピソードには、たしかに、「この非常時なのに」「お国のため」を考えず・・・という、第二次大戦前ならではのニュアンスがある。しかし、その種のニュアンスを除いて考えれば、そこに含まれているのは、要するに、「世間知らず」な科学者への批判ないし揶揄である(注8)

そう考えると、先のエピソードに見られる、科学(者)と世間(ないし社会)との間の「すれ違い」は、現代においても解消していないように思われる。解消していないどころか、深刻さを増しているのかもしれない。なぜなら、「日露戦争も知らず・・・」というエピソードの場合には、「学者先生は、どうせ変な人たち」と、世間から「暖かく」見守ってもらえている風情が感じられなくもない。それに比べ、今日の社会が科学(者)を見るときの視線は、いっそう刺々しさを増しているようにも思えるからである。科学者たちは「いったい何をやっているのかわかったもんじゃない」、「どんな影響を生み出すことやら・・・」と。

「研究に没頭して日露戦争が起こっていることも知らなかった」ようなタイプの科学者が少なくなかった、それほどに科学者というものは、ともすれば「科学の世界」に埋没するのである。科学研究はそれほどに面白い、人を「世間知らず」にしてしまうほどに魅惑的である。

したがって、科学者を志すもの、科学研究に従事するものは、科学に没頭するあまり周りが見えなくなり、「とんでもないこと」をしでかすことのないような、広い視野が与えられていなければならない。また、自分の研究の社会的意味をたえず反省し、研究の意義を社会に向けてアピールしていく必要があること、そしてその術も教えられていなければならない。つまり、「科学と社会の接点で生じうる諸問題」について学習しておくべきなのである(注9)

だから、「科学を教える」といったとき、その教える中味には、「科学の知識」だけでなく、「科学と社会の接点で生じうる諸問題」も含めるべきではないか、これが私の意見である。医学・医療の教育においては、医学・医療に対する一頃の社会的な批判の高まりをうけ、「医の倫理」や「患者への説明」(インフォームド・コンセントとの関係で)などが取り入れられている。科学(技術)の世界でも、これらに対応する試みが必要なのではなかろうか。「科学を教える」ことを目指す「理科教育」に、これに類する広がりが必要なのではないかと思うのである。

いや、そんなことは、たとえば社会科でやればよいではないか、という声が出てきそうである。しかし、これはいささか、消極的に過ぎる態度と私には思える。下手をすると、役所の窓口での「たらい回し」と同じになりかねない。ここはむしろ、科学(理科)の教師が積極的に打って出て、社会科などの内容を科学技術時代にふさわしいものへと、理科の側がリーダーシップをとって変えていく、そのぐらいの意気込みがあってもよいように、私には思える。



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