「化学教育ジャーナル(CEJ)」第2巻第2号/採録番号2-22/1998年11月16日受理
URL = http://www.juen.ac.jp/scien/cssj/cejrnl.html


TOCOの会の活動紹介
国立医薬品食品衛生研究所 林 譲、松田りえ子
静岡県富士保健所 石川雅章

Group of TOCO

Yuzuru Hayashi, Rieko Matsuda, National Institute of Health Sciences

Masaaki Ishikawa, Fuji Health Center
 

1.はじめに

2.TOCOの会の意義--統計学的方法の限界について

3.FUMI理論について

4.TOCOの会について

 
1 はじめに
 
  液体クロマトグラフィなどの機器分析における精度、検出限界は測定値の標準偏差(SD)に基づく量であり、当然、くりかえし測定から求めることができます。しかし、この統計的方法では、多くのくりかえし測定が必要であるため、多大な労力と時間を費やさなければなりませし、科学的に見ても、スマートな方法とは思えません。
 サイコロ実験を考えてみましょう。サイコロを100回振って、サイコロの目の正確なSDを知ろうとする人はいないでしょう。サイコロが歪んでいなければ、1から6の目が出る確率はどれも1/6ですから、この確率から目のSDを簡単に計算することができるからです。実際には、サイコロの目の確率は、サイコロの形や重心を調べれば、推定できるでしょう。この方法(確率論的方法という)では、サイコロを振る必要はありませんが、サイコロの目の確率(分布)を知らなければなりません。
 同様に、機器分析の測定値の確率分布が分かれば、測定値のSD、つまり、精度や検出限界を計算できます。統計的方法も確率論的方法もSDを求めるという目的は同じですから、実際にどちらを用いてもよいでしょう。しかし、測定値の確率分布を、くりかえし測定に頼ることなく、確率論的に求めるという科学的だいご味とその利点に関しては、量子力学や統計力学(実際には、確率論的力学)を思い浮かべてみてください。
 分析化学の分野では、測定値のSDをくりかえし測定なしで予測する方法はいくつか提唱されています。その中で、1回の測定から精度、検出限界を予測するFUMI理論があります。この理論は、分析器機のベースラインをホワイトノイズとマルコフ過程で近似し、測定値のSDを求めるという確率論です。
 大学における化学教育は統計学を含んでいますが、確率論が教えられることはほとんどありません。そのため、FUMI理論が実践的に有用であっても、多くの分析担当者や化学者にとって、FUMI理論を理解するのは容易ではないようです。分析化学において、統計学の有用性が初めて指摘されてからまだ20年くらいしか経っていません。今、統計学ではなく、確率論であるというと、多くの人は困惑するかもしれません。
 そこで、コンピューターソフト(TOCO、トウコと読む)を使いながら、FUMI理論を理解し、実践に応用することを目的としたグループがTOCOの会です。この会は、現在のところ、企業、公共の検査機関の分析担当者や大学などの研究者が会員であり、FUMI理論やTOCOに関する情報交換や、精度や検出限界に関する共同実験も行っています。TOCOは、Total Optimization of Chemical Operationsの略です。本来、TOCOは、最適化の概念としてFUMI理論の応用に関する論文で使われていました。
  残念ながら、今のところ、検出限界を求める一般的方法は確立されていません。しかし、FUMI理論によれば、検出限界は1回の測定から求められるので、精度に基づく測定条件の最適化、分析器機の日常点検、バリデーションなどに応用できます。我々は、TOCOがユニバーサルな方法として、世界に認められることを信じています。
  
2 TOCOの会の意義--統計学的方法の限界について
 TOCOの会は、統計学的手法では原理的に困難なことを、確率論的アプローチで行う方法(FUMI理論)を勉強し、実践に応用することを目的としています。統計的アプローチで困難なこととは、数少ない測定回数で、測定値のSDを正確に求めることです。以下で説明しますように、数回の測定から求めたSDのばらつきが大きいことは、統計学または確率論の原理に基づいていますから、決して避けることができません。しかし、FUMI理論は、くりかえし測定とは異なった原理に基づいていますから、1回の測定から、正確なSDを求めることができます。
  サイコロの目のSDをどの程度正しく求めることができるかという問題を考えてみましょう。簡単な計算から、歪みがないサイコロでは、目のSDは1.71であることが分かります。では、サイコロを5回ふって出た目の数から計算したSDは、いつも1.71に近い値になるでしょうか。残念ながら、そうはならないのです。例えば、目の数が、2,3,3,4,5ならば、SDは1.14で、真の値の2/3となります。もし、目の数が2,3,4,6,6ならば、SDは1.79で、今度は、真の値に近くなります。このように、サイコロを5回ふる度に、大きく違ったSDが得られることになります。この測定値に基づいて得られたSDがどの程度ばらつくかは、カイ2乗分布として、統計学的にも確率論的にも知られています。カイ2乗分布によれば、サイコロをふる数を増やせば、それから得られたSDの信頼性が増すことが分かります。たとえば、サイコロをふる数を50回にすれば、SDはほとんどいつも1.71に近くなります。これが、くりかえし実験から求めたSDの信頼性であり、サイコロをふる数だけに依存しています。
  機器分析で50回の繰り返し測定を行うことは、現実的ではありません。1回の測定に10分かかるHPLC分析では、信頼できるSD値を得るためには、8時間以上かかってしまいます。
 21世紀には、くりかえし測定によらずに、測定値のSDを正確に求めるスマートな方法が必要なのではないでしょうか。
 
3 FUMI理論について 
 化学分析の精度は、分析法バリデーション、GLP、GMPなどにおいて重要な概念であり、最近その社会的・科学的重要性は急速に高まっています。精度は、分析値の標準偏差(SD)や相対標準偏差(RSD)で表すことが一般的です。精度に関して未だに信じられていることに、分析値の精度はくりかえし実験以外の方法では求められないということがあります。事実、複雑な分析では、くりかえし実験以外の方法は考えられないでしょう。しかし、機器分析だけに限れば、くりかえし測定なしに精度を正確に求める研究は、アメリカやヨーロッパを中心に数10年にわたって行われています。
 このような研究が行われる背景には、機器分析の精度を理論的に知りたいという科学者の好奇心もありますが、現実的な要請もあります。それは、くりかえし実験から、分析値の精度をかなり正確に求めることは、時間・労力の点で現実的にはほとんど不可能であるということです。
 FUMIはFunction of Mutual Informationの略です。FUMI理論では、精度とシャノンの相互情報量(Mutual Information)を関係づけていますので、この理論の名称をFUMIとしました。FUMI理論は、ベースラインのゆらぎ(ノイズ)とシグナルの確率論的性質から、機器分析の精度を予測します。もちろん、くりかえし測定は必要ありませんから、短時間に精度予測や検出限界の予測も行えますし、予測された精度の信頼性は高いことも分かっています。
 サイコロを例にして、FUMI理論の考え方を述べましょう。最も重要なのは、「FUMI理論は、サイコロをふらない」ということです。そのかわり、1〜6の目が出る確率をある方法で求めます。サイコロは形も単純ですから、その形を計測し、重心を求め、これからそれぞれの目の出る確率を推定できると仮定しましょう。形の計測自体に誤差があるので、1回目の計測から求めた重心と2回目の計測から求めた重心は、少し異なりますから、これらの重心から計算したSDも少し異なるでしょう。FUMI理論の信頼性はSDをどのくらい正確に求められるかで判断されますから、サイコロの重心をどのくらい正確に計測できるかが、FUMI理論の信頼性にとって重要な要素になります。幸い、この重心の計測の誤差、つまり、ベースラインのゆらぎの数値的表現は大変小さいことは今までの研究から明らかになっています。
 FUMI理論から測定値のSDを求めることを考えてみましょう。簡単のために、サンプルの濃度が十分に薄く測定値のばらつきはベースラインノイズだけに起因すると仮定しましょう。サイコロの形の計測に相当する操作は、ベースラインノイズの数学的解析です。この解析結果から測定値のSDが求められます。1つのベースラインノイズの解析から得られたSDの信頼性は、約50回のくりかえし測定から得られたSDの信頼性にほぼ等しいことが、われわれの研究で分かっています。HPLCの例では、ノイズ解析に必要なベースラインは7分弱で得られるので、FUMI理論による精度予測は、迅速かつ正確です。
 
4 TOCOの会について
 
 精度は、分析法バリデーション、GLP、GMPなどにおいて、最近ますますその社会的、科学的重要性を増しています。このような背景を基に、精度を、迅速・正確・簡便に求める方法が強く望まれています。
  TOCOの会では、この新しい化学(FUMI理論)を、研究、勉強、実践することを目的とした会です。現在、会員数は約50名です。最近、多くの会員が共同して検出限界に関する実験を行いました。同じサンプルを用いたにもかかわらず、研究室によって検出限界が大きく異なったことは驚きでした。このような情報、または、FUMI理論、TOCOに関する質問などは、TOCOの会の案内を見てください。今後も、分析化学における確率論に関して、多くの方々と研究交流を図っていきたいと思います。

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