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令和元年度研究 対話性を重視した学びに基づく教育実践の創造

○「対話性」について考える

 前研究での成果と課題を踏まえて,一人一人が内面をより豊かにして学びに向かうために,今年度からの研究では「対話」という考えに注目した。

本校の児童生徒は,一人一人にたくさんの輝く部分がある一方で,周りが気になって集中できなかったり,できる力はもっているのに気持ちの落ち込みなどから時間がかかったり,先生の話は聞こえているけれどなかなか指示が受け入れられなかったり,やることが分からなくて立ち止まってしまったり,そもそものやりたいことが見つからなかったり等といった,受け身的に学びに取り組む姿も見られる。

状況が変わると対応できなかったり,指示待ち的であったり,意欲に乏しかったりといった児童生徒の実態を踏まえるならば,「自ら考え,判断して行動を調整できる」力を育てていくことが大切になる。そのためには,子ども自身が学びに向かう思いをもち,いろいろと働きかけて,または受け取って,それを返して,といった主体的な学習の往還が必要となると考えた。本研究では,その学びのあり方を,「対話」という考えに求めた。

鹿毛(2007)は「対話とは,他者性(他者が自分とはまったく異質な存在であるということ)を前提としたコミュニケーションの営みである。「対話」とは単なる「会話」ではない。対話によって異質な世界に出会うことを通して,自分にとって自明なこと,自分が無意識に前提としていることが揺さぶられ,その対話経験自体が学びの契機となるのである。対話するにあたっては,相互の異質性を前提として,他者と誠実に向かい合いながら他者の内側から理解しようとする態度を求められる。つまり,他者が思ったり,感じたり,考えている背景に入り込んで,それをまるで自分の世界であるかのように引き受けながら理解しようとする心構え(いわゆる「共感的理解」)が必要になる。」と示した。パウロ・フレイレ(1968)は「対話のないところにコミュニケーションはないし,コミュニケーションの成立しないところに本来の教育もまた,ない。教育する者と教育される者が矛盾を乗り越え,認識する対象を仲介しながら共に認識する活動を行う相互主体的な認識をつくり上げる場,それが教育である。」と示した。

子どもと教師の関係性でいえば,目線を合わせて,相互主体的に認識をつくり上げていくことの大切さに言及している。これらに対して,批判的に対置したのが,「知識と自分との接点が失われたひとごと(他人事)の学び」(鹿毛,2007)であり,「ただのレコーダーにすぎない生徒たちは,その伝達された内容を,辛抱づよく受け入れ,記憶し反芻する預金型教育」(パウロ・フレイレ,1968)である。そこには,一人一人が心の内にもつ探究,不断の発見と再発見等といった心の動きは見えない。学ぶという行為には,学ぶ対象と自分との接点を見いだす必要がある。

また,多田(2017)は「対話で大切なことの第一は,自分の考えを持ち,表現することです。(中略)第二は,人の意見を聴き,それをしっかりと受け止めることです。(中略)第三は,しなやかに自分の考え方を変化させる柔軟さを持つことです。」と示し,対話を「自己および多様な他者・事象と交流し,差異を生かし,新たな智慧や価値,解決策などを共に創り,その過程で良好な創造的な関係を構築していくための言語・非言語による,継続・発展・深化する表現活動」と定義した。

ここまでの対話についての考えを踏まえ,児童生徒の実態,小学部から高等部という生活年齢,障害の特性などを考慮するならば,本校の目指す方向性を設定することが必要になると考えた。対話の要素を踏まえつつも,対話そのものは難しいことが予想される児童生徒の実態を考慮し,対話を通じた学びにつながる在り方を模索した。それが対話性を重視した学び」である。本校においては,対話性を「相互主体的に,自分の考えを表現したり他者の考えを受け止めたりする中で,新たな認識を柔軟につくり出す態度や性質」と定義した。

文献
鹿毛雅治(2007)子どもの姿に学ぶ教師−「学ぶ意欲」と「教育的瞬間」,教育出版
パウロ・フレイレ(2018)被抑圧者の教育学−50周年記念版,亜紀書房
多田孝志(2018)対話型授業の理論と実践−深い思考を生起させる12の要件,教育出版

※「研究について」に戻ります。

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